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検索結果「山田秀男」
34件中 1~34 件を表示しています。
名言・格言
発言者
1:
人に好まれることは結構なことだ、好む人にとっては純粋な好奇心だろう、しかし好まれた人にのしかかる想像力と配慮は、時が経つほど、重くなる、好まれた人は、配慮を美学と思わざるを得ないから美学の気持ちよさと、配慮の気持ち悪さが混同している、迷っている、この迷いが、時として好きではなくても、愛してしまう不思議な結末に辿り着く場合がある、純粋な好奇心は、相手を魅了する、その裏に隠されたものは迷わせる時を与える好機なのだ。
山田秀男
2:
風のように現れ、風のように去る、人が生きるということである、人生は、気づけばここまで来ていた、年をとればとる程、時が加速するのだ、それが我々にとって何かの意味があるならば、素直に受け入れるべきだろう、人生なのだから。喜ぶこと、悲しむこと、生きることにとって、この二つが大きな割合を占める。極端である、単純である、そんな容易い人生だ、しかし喜び、悲しみを繰り返すうちに、それを容易く理解できる深みのある人生に変わっていくのである。風のように現れ、風のように去る、あっという間の人生の中に、君にしかない、個性の躍動が凝縮されていくのである。君が人生を歩む理由は、仕事するため、遊ぶため、結婚するため、許されたことをやればいい、しかし満たされる事が幸せではない、満足感はいつかは冷める、そしてまた別の何かを探すのだが、人が真に何を求める為に生まれたのか、この世界ははっきりとその正体を見せない、そこに特別なある何かを追求しろと言うメッセージが隠れている、君の人生の目的だ、何かを追い求める事が君の人生ならば、その意思を曲げてはもったいない、まっすぐに生きること、それは美学ではない、真実を求める為の究極の姿だ。
山田秀男
3:
純粋な理想を描くのが男だ、女はそこには関心を持たない、女は不純な現実との戦いを描く、男はそこには関心を持たない、この矛盾した二つが無理やり一つにまとまろうと努めるそれが結婚である。
山田秀男
4:
君がその程度の人間などとは思わない、君がそう容易く諦めてしまう程の複雑な人生ではない、君が何と無く歩む人生にいつか確信的な出来事が訪れる、それが「いつの間にか」だから生きることは面白い、いつの間にかここまでたどり着いた、それが確信的な出来事なのである、人は時間にこだわるが、その時間が多少なりとも続くと、こだわりを忘れてしまう、これが人が日常生活で最も重要視している概念だろう。人はこれに囚われているから、長い目で物事を見ることが続かない、その集大成が「いつの間にか」なのだ。そう考えてみれば、人がどれだけ複雑に見えても、実は単純に生きているだけだという事が解る。
山田秀男
5:
思春期には信念に寄り掛かる世界がある、これが成長を遂げると強力な癖が生まれる、曲げない信念だ。世の中は必要以上に信念を重んじるものだから、その対極にある迷いに伏せているものは、信念に対し構えなくてはならない、人には信じる者、迷う者二種類があるのだが、現在に至るまで迷う者が勝る歴史は覗いた事がない、歴史の勝者は誤る隙も許さず確実に信じる者で埋め尽くされているが、時には迷う者が歓喜の瞬間を味わえる幅の広さを世界に求めたい。
山田秀男
6:
人は愛に包まれ誕生する、その包まれた愛は不思議なことにしばらく忘れられている、やがて人を愛するようになり、その愛に触れ感動を呼び起こす時が来る、その瞬間から包まれた愛は感謝と名乗り逞しいほどに開かれ、やがてそこに深き光が照らされる、その優しげな輝きが人を堪能するかの様にその人を改めて包み込み、真実の世界に導く。もうひとつの人生の始まりである。
山田秀男
7:
一般的に男と女は、互いに愛というものを与える美しさで、関係を保つ、だが稀に愛を与えるではなく、その人から愛をいただけると受け取る知恵者がいる、その慧眼は、相手を自由自在に手のひらで転がす特殊能力が身に付いている者の素質である。
山田秀男
8:
人間は何の為に生きるのかと問い掛けられた時に心の何処かに迷いを感じているものだ、この世で成すべき全ては、常に抽象的である。そしてはっきりしないからこそ追い求めるようになる。やがてその努めが成し遂げられたなら、その先にはさらに素晴らしい歓びと探究させる道が用意されている。人生に答えを求めるならば、追いかけている最中だと、妥協するほかはない、遠い未来に、追求の先に、探し当てた真の答えがみつかったとしても、神はそれをまたさらに抽象的にもっていくのだろう、道をいくらでも差し出して、人類に、生きるとは何かを叶えるために。そして生きることがまた抽象的だからこそ、神が存在しているのか信じられないのである。
山田秀男
9:
人間関係の歯車は、ただ思いやることだけでは上手く回らない、その思いやりに嘘を含ませることで、それは歯車を動かす潤滑油へと変わる、そしてこの潤滑油は、いつでも新鮮な潤滑油である。
山田秀男
10:
星は美しく見える、夢も違った美しさがある、これは星も夢も遠くにあるものだからである、人間は遠くにあるものを美学としてとらえる習性がある、深く言えば地球が生んだ法則である。逆に人は汚れて見える、現実も違った汚れがある、これは人も現実も近くにあるものだからである、人間は近くにあるものを、当然としてとらえる習性がある、当然は繰り返すことで汚れて見せるものである、これも深く言えば地球が生んだ法則である。
山田秀男
11:
子供は知りたいという事を真っすぐにとる、大人は知りたいという事を曲げてとる、老人は知りたいという事を諦めてとる、何故だろうか、子供はそれに対して曇りが見えていないからであり、大人はそれに対して曇りが見えているからであり、老人はそれに対して曇りを十分理解しているからである、そしてこの曇りを晴れやかに変えようと努める理想こそが、すべての人間にとって生きる上での根源的力となっている。
山田秀男
12:
人は満足を目指すが、その満足が叶うと、満足を目指した過程が、失われる、これは人間の成長と深く関わっており、この繰り返しにより、成長の欲が生涯においてそぎ落とされていく、よって若き日々において、満足を目指す姿勢が、どれほど重要であるかが解ると言える。
山田秀男
13:
可能か不可能か、人はその表面的な部分を見つめるだけで判断を起こす。可能には即行動を起こす力があり、また不可能には、即夢を起こす力がある、夢は、この世界で生まれた賜物、世界が育んだ格別なる道筋、夢は可能と不可能を包み込み、全てを従わせる神秘として成り立つ。
山田秀男
14:
自信を持つことは、ほんの少しだけ図々しさが身に付くことだ、この図々しさは一般のものとは価値が違っていて、その自信を失ったとしても、一生消えない、心に深く刻み込まれた、生きた証が表れる貴重な価値の高さである。
山田秀男
15:
地球は不平不満を言わない代わりに、自然という体の一部分を使い、我々人に強烈に伝える、「私は全ての親ではない、地球である、君たちがいたわりを起せば、私も相応の喜びを与える、この私を君たちが大切に扱ってくれれば私も君たちを大切にしよう、しかし乱暴に扱えば君たちを大切にできない、それは星だからではなく君たちが考えることだ」。
山田秀男
16:
若者の未来へのやり切れぬ焦りは、それ以上の経験を積み重ねた年配者には、少しでも止めてあげることが出来ない、なぜなら経験と未経験を比べれば計り知れぬ決定的な差が現れるからだ。年配者には、見守ることが若者の為になる、しかしそれが切ないのだ。若さは人生において苦悩する暇もなく過ぎてゆくだろう、若さとは将来の苦悩のためにため込む尊きエネルギーと、それを潤していくかけがえのない輝ける日々である
山田秀男
17:
理想の笑顔を与えてみたい、恋することに規制はない、人にとって、そうさせてみたいと、一途さに操られることが、人の何よりの幸せだと囚われてしまう、理想を描いている自身が、いつのまにか幻想に描かれている、あなたは笑顔で私だけしか見つめていない。
山田秀男
18:
人の心を不愉快にさせるのは、イメージに隠れた不潔感である。同性であれば、本能的に感じられる、しかし、異性であれば、誘惑という幻の存在が本能をかき消す。
山田秀男
19:
我の強さとは、図々しさからくるものと、思想の高さからくるものと、二種類ある、これは表側では一つにまとまっているが、裏側では、しっかりと別々に形作られており、決して同じ軌道を通らない、勘違いされやすいものである。
山田秀男
20:
人生という、壮大な迷路に残念ながらゴールはない。繰り返すように、明日を目標として、今日生きた証を心に記す。夢、現実を歩む為のエネルギーとして、過去、現在、未来を、迷路を理解するための地図の切れ端として、神は人間性に、諦めないことの素晴らしさを与えた。闇の中で突き進まねば、光を照らし続ければやがて楽をしてしまう事を神は理解している。しかしこの黒く染まる消えることのない不安が何を意味するものか、人にははっきりと理解できない。人はゴールにたどりつけると信じている、迷いから確信に変えたいと夢をみている。
山田秀男
21:
自らの思うがままにやりたいことを行える人のメカニズムにそれは理想的でありながら、その中に確信が二つだけある。一つは、信念を、理想を描き切っていても、なお持続できている力、もう一つは、その信じぬく力の重みに、耐えきれる資質を持つ人だ。前者は、人生において、何より求めていく為にある努力。後者は、過去世において、積み重ねてきた経験、それは、今世に持ってきた、天性といわれる才能。
山田秀男
22:
若者の美学は、限界を表現してみたいとロマンを見るものだが、その夢が、達成した瞬間に、成熟した大人は、それを見て、何とも言いようのない、悲しさに包まれる。そして、その悲しみが、プライドと交わり、人を愛さなければ、という、教訓に改まる。
山田秀男
23:
夢を叶える為に、夢を証明したいならば、その願う意識を日々において、貫き通すことだ。夢というものは、追っているときには、いつでも、生き甲斐を味わえるが、夢を叶えられた領域までたどり着いたなら、何故生きるのだろうと再び道に迷う、それは、夢というものが、定められたものではなく、定まるものでもない、人の思考では、測れない大いなる何かを持つものだから。その解明されない神秘的な輝きを人は、夢を知り尽くす深遠なる知恵者から、何らかの理由により、生まれ持って与えられたのかもしれない。それは未知の裏側にも、何かしら道理が存在すること、素晴らしきものには、必ず尊き道理が存在している。
山田秀男
24:
人の可能性を、人は精度だと決めつけ、その枠のなか求道を重ねる。枠をはずせば、無限の広がりが待っているのだが、枠の外し方を人はきっと人である限り、永遠に探し続ける
山田秀男
25:
喜びを握る為に人生があるのなら、悲しみを排除したいと願うのは当然のことである、しかし、喜びと悲しみは人の意思より仲がいい。
山田秀男
26:
どのような境遇の人でも、希望を胸に秘めた人だったら、明日を疑いなく信じるもの。それは善人でも悪人でも同様に。神は自らが正しいと判断したことが、人に平等として広まる。
山田秀男
27:
大人はストレートに愛を伝えられない、デリケートに意識が向いてしまう。それは恥じらいを忘れられないからだ、恥じらいだけは、どれだけ大人になってもコントロール出来ない。
山田秀男
28:
恐怖とは先入観にすがり、理解を恐れ佇んでいるようなものだ。勇気ではなく、知性によって、精神にからまっている恐怖はほどかれる。しかし本当に怖いものとは、測ることのできない全てのものだと気づいていない人が大半を覆っている。
山田秀男
29:
技術には、様々なものがあるが、技術を極める為に、勘違いされては困ることがある、技術は、自己満足の為に追求するだけのものではなく、獲得した技術によって、受けた相手にいかに満足してもらえるか、が肝要だ。それには、技術という装備を一度外し、何もない状態で、遠くから現場を覗いてみることだ。
山田秀男
30:
野心は精神をコントロールする棘である、周りに誰も寄せ付けぬ精神の棘である、我々はこの棘を身につける日がいつかは来るだろう、それは自己の確立の材料にされる、棘は抜くことは出来ないが、そこから進化した精神で包み込む必要がある、保守的ではない、あくまで攻撃的な意思を貫くそれが棘の正体なのだ。
山田秀男
31:
つまらないものをやれと教わっても理解はできない、それは自分より高いレベルにあるものだからである、時がたつにつれ解ってくる、解ってくると楽しくなる、楽しくなればその水準へ達した証拠、つまらないものを親は勧めた、親は子供のために先を見据えて勧めていた、しかしそれが楽しいかどうかは、解っていなかった。
山田秀男
32:
人生を走るその訳は何なのだろうか、一歩づつ歩けばいいではないか、焦っている訳ではない、目指す場所が見つかったから走るのだ、転んでも走り抜けられる理由がその場所に確かにあるからなのである。
山田秀男
33:
子供が遊ぶのは深い意味を持たない、それは遊びの本質を知らないからだ、この本質に飽きるのが大人であり、遊びの本質を知り始めそれを真の意味で楽しめるのは、その間にある青年期しかない、青年期は貴重な宝と戯れるような時期である、それは青春と言い換えられる。
山田秀男
34:
学ぶという事は、ただ学びたいからではなく、より正しく言うと、学ぶということの奥底にある、危険、または臆病さから発する不可解な意識が学ばなければいけないと思わせるのだ。
山田秀男
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